そしてバイトの話。
えーと、父さんから言われた今回の仕事内容はー、
台所の片付け・余り過ぎる食材の始末
朝・昼・晩、婆ちゃんに食事を出した後に薬飲ませる
火曜の朝、出て行く時にゴミだし
が基本で、その他臨機応変に、だな。
薬飲ませるのだけは忘れないようにしないと自分。薬薬薬。
ああ、てか、もー。
やっぱ認知症はきついね。かかっている本人も、まわりの人も。
そうそう、本人きついんだよ。ストレスたまってるんだよ。
だからあんな嫌味なこと言うのさ。
………
嫌味はな、仕方ないよなぁ。
婆ちゃんもイライラしてるんだよー。うん。
くそー、嫌なこと言われてもムカーってきたりしょぼーんとしたりしないで許せる寛大な心が欲しい!
と思ってみたりしたんだけど、そういう風に悪態を許せて笑っていられる人は、悪態をつく人間をどう見ているのだろう?と今思った。
「仕方ないことだ」ですませてるんだろか。じゃあなんで「仕方ない」と思う?「そういう人間になのだから」と思って「仕方ない」のか。「だから彼、または彼女の悪態は仕方ない」?
けれど寛大な人、いわゆる偉い人はむしろそういう類の人間を哀れだと思って、そして哀れだと本当に思うのなら、悲しむんじゃないだろうか。と考えてみた。
とどのつまりは、寛大な人=偉い人で、偉い人が誰かに悪態をつかれて哀れみ悲しむのだとしたら、結局は神様のように偉い人もポイントはズレども悪態つかれりゃ悲しむわけだ。
ということは悪態をつかれて怒りたくない、悲しみたくない私が目指すべきは偉い人、寛大な人ではない。ということになる。
………
…相手を見下して「仕方ないな」と思える人間になるのが、一番楽なんだろうなぁやっぱり。
なんか嫌だ。
でもだからといって、この人は可哀想な人なんだとか思うのもそう思う自分に酔っているような気がして気持ちが悪い。
いったい私は何を目指せばいいんだろう。